長崎建設新聞による代表取締役インタビュー記事

佐世保市に本社を置く、㈱エムアイ興産の池田正喜代表取締役の日常は一言で言うと多忙だ。(一社)長崎県建造物解体工業会の副会長をはじめ、(一社)長崎県産業廃棄物協会の副会長および、佐世保商工会議所の議員を務め、各団体の諸活動を精力的にこなしている。

今年秋口には自身が一代で築き上げた㈱エムアイ興産が創業40周年という、大きな節目を迎える。当初は10名だった従業員も今では39名が在籍。事業内容も拡大し、建設業、解体業、産業廃棄物処分業の3本柱の他にタクシー会社、レンタカー事業等、多角的に経営を進めている。寸暇を惜しまず常に動いている池田氏に少し時間を割いてもらって話を聞いた。

思い返すと、私が起業した時の年齢は23歳でした。県北地域限定でいえば、平戸大橋の架橋工事が槌音も高く進んでいた頃ですね。全国的には、日本列島改造論が今でいう “炎上”しており、高度成長期の真っただ中でした。当初は、簡易水道の築造から始まり、農地の基盤整備、そして今の解体業へと歩を進めてきました。解体業を創めてから思ったことは、年々法律が厳しくなってきたということです。今でこそ当然だと考えられる向きも多いでしょうが、まずは野焼きの禁止、そしてゴミは焼却すべきとなり、今ではリサイクルすべきと、時流に沿って考え方も変わってきました。その間、様々な問題に直面してきましたが、学んだことの1つに、会社を守るためには必ず事前に調査をするということです。もちろん法令遵守は言わずもがな、です。

会社社屋に掲げられた“3R”の文字

今、解体もそうですが、産業廃棄物も建設資材の多様化等により、処理が大変難しくなっています。もちろん我が社では社屋の壁面に掲げている3Rの信念(Reduce《リデュース》、Reuse《リユース》、Recycle《リサイクル》

)に乗っ取り、適正な処理・加工をしています。今後は、建設資材への再生だけではなく、農業用資材や個人宅用のパーティクルボード、園芸用の肥料等への再生も計画しています。

私がなにより一番に考えているのは、再生資材がこの県北地域で使用される事です。そのために生まれ変わらせているといっても過言ではありません。単にゴミとして処理するだけではなく、使えるものに生まれ変わらせる、もしくは、再生ではなく、新たな命を与えるという仕事をしていきたいと考えています。

そのためには、許可や認可、エコアクション、そして優良性を基本的な事として大事にし、さらに企業を伸ばすためにも、従業員を教育していきたいと思っています。しかし、ただ前述した許可等を守っていくだけでなく、企業が持続的に発展していくために、地球環境と調和した環境経営 を行っていくという “環境経営”の概念に乗っ取って進めていくとともに、長崎県という地域にマッチした“長崎流”を構築していきたいと考えています。

仕事については平等が一番ですし、もし単独では困難と考えるのであれば、JVという方式もあります。大手と組むことで、仕事の手法を学ぶ事ができます。手法というのは、大きく管理・解体・産廃処理、そして安全という事ですが、全てが大切な事と言えます。中でも最も大事な事は安全面ですね。ガードマンの方々もこの季節は寒い中大変だと思います。仕事は1人で出来るものではありません。相互共助の気持ちが大事なのではないでしょうか。

現在、若者の入職が減少してきています。この業界に限らず建設業界では3Kと言われて久しいのですが、未来を担うべき雇用が乏しいというのはさびしい限りだと思います。就職するにしても、都会ではなく是非とも地元企業に就職してほしいと強く願っています。しかし、若い方々も、私の時代とは考え方が違っているように思えます。意気揚々と地元の中小企業に就職して、自らの力で“大企業にしてやる”くらいの気持ちがおそらく無いですよね。また、企業側も地元の子供たちを育て定年退職するまで見守っていけるくらいの意欲が少なくなってきているように感じます。覚悟と言ってもいいですが、私はそういう事業所を目指しています。

今後、我々が進むべき道として考えているのは、先にも述べましたが何をするにしても、1企業単体としてではなく、事業、組合、地域へと輪を拡げて展開していくべきではないかということです。地域に密着し、かつ入職した人たちが長く勤められる企業を目指しています。一言でまとめるならば、地域の便利屋になるのが目標ですね。

◇ ◇ ◇ ◇

―インタビュー後は、池田氏の思い描く県北地域が活性化するための将来的なビジョンを聞いた。既に始めているものもあり、どれも実現すれば素晴らしい事になると確信できるものだった。詳しくはここで紹介できないが、何よりも、「自分流」を貫く池田氏らしい考えが細部まで根付いていた。

【プロフィール】

昭和29年生まれ、62歳。実父が51歳で急逝してからは祖父に育ててもらい、弟と二人三脚で会社を興した。初任給は5千円。「今では考えられませんよね」と笑う。

感謝してやまないのは友人たち。「この会社を興すことができたのも、見返りを求めない友人たちの無償の愛でした」と述懐する。大変な読書家で、時間があれば農業も営む。

子供さんは娘2人、息子1人。既に長男は同社の常務に就いており、専務の池田さんの実弟とともに営業の要として働いている。

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